クルクルブログ

サブカル寄りのしがない文系大学生がどうでもいいことをさも重要なことのように書きます。

<世迷言>クリエイティブである、の意味

クリエイティブな人になりたい。

 

誰しも一度くらいこういうこと思ったことがあるんじゃないか?

 

何か新しいものを創り出して、人の心を動かして、かっこよくスマートで。

他人とは違う個性をもって、オリジナリティを出して、特別な存在で。

才能で勝負し、世間から認められて。

 

そんなクリエイティブな人になりたい。

 

一度くらいそう憧れて、何が悪い。

 

一度どころか私はずっとそういう人になりたかった。

子供の時から「自分は他の人とはちょっと違うんだ」と思って生きてる節があった。

本当にいやな子供だ。

でも誰しも通る道なのかもしれない。と思えばちょっとした慰めにはなる。

 

つまるところ、私はいまこの「クリエイティブである」ことの意味をしっかり理解できずにいる。

かっこいい絵を描いたり音楽をつくったり映像を撮ることがクリエイティブなのか?

そういうわかりやすい「モノづくりに携わっている人」を私はクリエイティブだと思っていたんだろうか?

それだけで人は特別な存在になれるんだろうか?

 

この問いが最近ぐるぐるぐるぐる頭の中を巡っている。

 

で、結局なんなの?クリエイティブって。

いったい誰がクリエイティブで、誰が違うのさ??

 

でも1つだけ言えるのは、

自分はそんなにクリエイティブじゃないんじゃないか?

って漠然とした不安があるということだ。

 

というのも

今日考えていた末に出たのが、

「答えが無い問いをずっと考え続けて何かしらひねり出せる人」こそクリエイティブなんじゃないか?

というまあなんと能天気なありふれた答えだった。

いや、でも自分はその力がどうやら無さそうなので同時に落ち込んだのだった。

 

やってみるとわかる。正解が無い問いほどきついものはない。

テストだってなんだって、正解は必ずある。

そういうのは得意だ。

出題者が何をプラス評価をしてくれるのか、どんなものが求められてるのか、それを考えればある程度の正解はできる。

でもその出題者がいない、特定の正解はない、となった瞬間、どうしたらいいかわからなくなるような、

すぐに模範解答をめくってみたくなるような自分がいた。

 

 

情けない。

というかここまでの文章も自分で書いていてさっぱり意味が分からない。

でも社会に出たら答えが無い問いの連続なんでしょ?大人のみなさん。

 

ほんとに困ったなあ。

 

でも幸いなことに、私にはまだ時間があることに気付いた。

まだ自分の短所に向き合ってどうにかできる時間はある。

超人になるつもりはないけれど、

でもどうせ社会に出たらそんな困難ばっかりなんでしょう?

だったら今のうちに慣れておくのも悪くないよね、

あーでも苦しいなあ

 

なんて思った初夏の真夜中でした。